運命を変えた私とバングラデシュとの出会い

2021年卒業、根形奈々

ベンガル語との出会い

 私とベンガル語の出会いは、高校2年生の夏のオープンキャンパスでした。当時、漠然と他の大学では勉強できないような珍しい言語を勉強して専門性を身につけたいと思い、東京外国語大学のオープンキャンパスへと足を運びました。高校生の私はベンガル語への知識は0。先輩方に「バングラデシュがこれからビジネスとして発展していくこと」「インド西ベンガル州・バングラデシュに渡って公用語として話されていて宗教の違いが面白いこと」を教えていただき、すっかり魅了されてベンガル語学習者への道を選びました。おそらく地元である千葉県南端の南房総市でベンガル語を話せる日本人は私だけだと思います。

学生時代

 19歳の時、偶然の重なりからバングラデシュへのホームステイへ行きます。さかのぼること大学1年生の秋、代々木公園のナマステインディアという南アジア系のイベントで出会ったバングラデシュのおじさんとの出会いが私の運命を変えました。アクラムさんは、日本で仕事をしているバングラデシュの方で、ベンガル語を少しだけ話せると言ったら意気投合。「甥っ子がダッカにいるから、まだバングラデシュに行ったことがないなら紹介するから遊びに行ったらいい」と、とんとん拍子でバングラデシュへの渡航が決まりました。私の初めての一人旅はまさかのバングラデシュでした。ホームステイ先の家族は、見知らぬ日本人である私をありのまま受け止めてくれました。私がつたないベンガル語を話すと喜んでくれ、一緒にご飯を食べながらおしゃべりをする。「私は息子しか子供がいないから、ずっと娘が欲しかったの。娘と一緒におめかししたり、(民族衣装の)サリーを着せてあげたりするのが夢だった。あなたはアッラーが授けてくれた私の娘よ。」そうやってホームステイ先のお母さんは私に言ってくれました。血のつながりはないけれど、私も本当の家族だと思っています。私は決して国際協力がしたくてベンガル語を学び始めたわけじゃありません。しかし、ベンガル語を学んで、バングラデシュに出会い、大切な人たちができました。彼らに恩返しがしたくて今も発信をしているのかもしれません。バングラデシュの魅力に触れ、もっともっと私の身の回りの人や、世界に伝えていきたいと思うようになりました。

今とこれから

 私はいま、株式会社マザーハウスという「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念を掲げ、バングラデシュをはじめとした国でアパレルアイテムを作る会社に新卒入社し、現在店主として働いています。もしかしたら、上の世代の人たちはバングラデシュというと未だに貧しいだとか、危ないだとかいうイメージを持っている方も少なくないかもしれません。実際に私の両親もそうでした。でもそんな両親も私を通してバングラデシュを知ることで今では大阪に行くくらいの感覚で、バングラデシュへ見送ってくれます。自分が正しいと思っていることを正しいと伝えていっても、他人に理解してもらうには時間がかかると思っています。だからこそ、私はバングラデシュの良いところを伝える手段として「ファッション」という業界を選びました。衣食住であれば、どんな人でも関わることなので「楽しいこと」を通してもっとバングラデシュを身近に思ってもらいたいのです。私は田舎で生まれ育ったからこそ、世界や国際協力に触れる機会が少なかったと思います。偶然の重なり合わせで私もバングラデシュに出会い、自分自身の「好き」を見つけることができました。だから私も今後は、アクラムさんのように誰かの人生を変えるきっかけをつくりたいと思って活動をしています。学生の皆さまも、人生を変えるきっかけは意外と身近にあります。そのチャンスにアンテナを張れるか、挑戦ができるかは自分次第です。不安でもやってみたらうまくいくこともたくさんあるので、興味があることは今のうちに全力にチャレンジしてみてください。